東郷平八郎

戦争の無意味さを記してきましたが歴史上は戦争によって滅亡してきた国家や流浪の民族となった人々も数多くあることから、存亡を懸けて戦わざるを得なかった戦も有ったことは事実として認識しておくべきと思ってここにその英雄の一人 東郷平八郎のことを記します。日本史でも戦国時代などは特にそうでしたが一国がその存亡を懸けて戦の日々でした。そして徳川家康がご存じの様に浄土宗の教えの基に「厭離穢土欣求浄土」(おんりえど ごんくじょうど)=穢れたこの国土を離れて浄土の世界を願い求めよう を旗印にして戦の無い国家にしていこうとしていったのです。真実 戦争などは有ってはならぬのです。

しかし、命懸けで愛する人を護ろうとして立ち上がる心意気は貴いものです。

東郷さんといえば日本海海戦!! そこで逸話を2つ(ご存じのお方はゴメンなさい)

1.ロシアとの戦いが已む無しとなった折に「連合艦隊司令長官」を任命するにあたって

時の海軍大臣:山本権兵衛(ごんべい・ごんのひょうえ)が全く予想だにされていなかった

東郷平八郎を任命!! その旨を明治天皇に上奏すると陛下から東郷をその任に充てた訳を問われて「東郷は運が強い男でございます」とお答えになった。

確かに東郷は戊辰戦争のころから如何なる戦に於いても危機を無事に脱してきた!!それを知っているのは共に戦場で生き抜いてきたからのこと・・・。東郷は予備役に充てられる噂すらあって既に司令長官は別人に決していたのだが・・・山本海軍大臣が東郷を任命していなかったら歴史にifは無いけれども・・・日本は否 世界が変わっていた

ぼくらはロシア語を話しており、今日の日々などは無かった・・・ 否、 生を受けていなかったかも・・・

それにしても 山本権兵衛の肝力 というか 眼力というか 日本国の運というか!!!

もちろん、時に 秋山真之らが同じ時代にそこに存していたことも運!!!

2.アメリカ海軍元帥ニミッツ提督と東郷平八郎

ニミッツは若き海兵のころに日本海海戦の戦勝祝賀会に招待を受けて東郷からテーブルに招かれて話を伺い感銘を受けて以来東郷を生涯の師と崇めます。

大東亜戦争(太平洋戦争)の折には東郷の作戦を自身の海軍に生かして活躍をするのですが、出撃前には東郷の写真に敬礼を行い只今より閣下のお国の海軍に戦いを挑みます!と告げて指令室に入った!と。太平洋戦争後、日本海海戦旗艦「三笠」が荒れ放題になり米兵のダンスホールにまで成っておりロシアは即刻の破壊まで提ずる事態に成っていました・・・

廃艦寸前のことを知ったニミッツ提督はアメリカ海軍に働きかけて自身の私財を含めて「三笠」の復興援助に全力を尽くします。

そしてその開艦式で「東郷元帥の大いなる宗敬者にして弟子のニミッツ」と碑に記したのです。更に、戦争時の爆撃で焼失した東郷神社の再建を願い、提督は本を出版してその印税を全て再建のために寄付をされました。そして見事に再建されました!!

提督の故郷 テキサスには提督のニミッツ記念館が在って東郷元帥の写真も掲示されているとのことです テキサスに行かれたら是非ぜひ!!!

三笠も東郷神社も若き頃に参拝したまま・・・今度上京の折には参拝をします。

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