最澄と空海 法華経

最澄は空海より7歳年上。共に遣唐使として中国に渡りますが、当時既に最澄は桓武天皇からの寵愛を受けて唐に渡るのも公費でした。一方の空海は単なる一僧に過ぎない身分で私費渡航です。当時のことですから船は漂流を続け1か月以上を経て中国に着いています。最澄の方が20日間程遅れています。

最澄は1年限定の留学でした。空海は20年の決まりでしたが、往時から中国語の発音を学んでいたこともあり、加えて尊師「恵果」からの信頼を重くして、遂には「灌頂」まで受けることが叶い2年間で修行を終えて帰国します。当然に違約の処遇を受けて太宰府に暫く身を置きます。先に帰った最澄は中国天台宗の教えを独自に改めて比叡山延暦寺を開いて日本の「天台宗」開祖として桓武天皇から保護を受け続けます。しかし、その後に空海が帰国すると、その「真言宗」の教えが広がり、やがて天台宗を超える教えとして嵯峨天皇からの保護を強く受けるようになりました。それは嵯峨天皇の筆力が空海のそれを見抜かれた歴史上の偶然かもしれませんが空海の密教の法力が強いものであったことは数多くの奇跡伝説からも容易に理解出来得ることです。

最澄は唐で少しは密教を学んでは来ましたが期間が短かったためにも学びたいと切望するようになります。

最澄が空海に直に教えを乞うこともあったが空海はあえてそれを受け入れることはありませんでした。

それは凡人では解せられる範疇にはないので私如きの記すことにありませんが、空海が得て来た「密教」はその名の通り密なる教えなので「祈りの力」を以て現生の悩みを救うという根本もありますし、そもそも胎蔵界曼荼羅・金剛界曼荼羅の図会で分かるように御仏の中心が「大日如来」です!!

従前の仏教の中心の御仏は「釈迦如来」ですから、全く異なっているものと判断しなくてはならないです。

この部分からでも二人の想いの違いが理解出来そうに思います。

ただし 天台宗の教義の基は「法華経」に在るので、空海も法華経の偉大さは「開示茲大乗経」の中で説いています。また、法華経は聖徳太子が中国から受けられた教えですし、天台仏教はご存じ鑑真和上があの苦難の末に持って来られた教えです。

「法華経」は日蓮宗の教義でもあり、現在は「創価学会」の教義でもありますが、 それはそれとして大天才空海も学ばれた経なので 最も有名な 法華経如来寿量品偈の中の 次の一文を挙げてみます

「衆生こう尽きて、大火に焼かるると見る時も、我が此の地は安穏にして、天人常に充満せり」

⇒私的意訳:目の前に大津波が襲い、多くの家屋が怒涛に呑まれ流され大火に焼かれ、無情にも数百という人々が命を落とし流されていく様は・・・いくら目の前に起きていてもそれは真実の姿ではない 今はありとあらゆる手立てを尽くして先ずは生き延びよう、そして救える命は救おう! 真実の姿は 天人が満ち溢れてお救いになされているのできっと必ず安穏の時がやって来る。 どんなに辛くてもそれを信じ生き抜く!

だから だからこそ日ごろに信心を深くして己を律し この瞬間を最大限に生き抜いていこう。

これを思うと「歎異抄」を思わずにはいられない!!あの書中でこれと同じことが起こり、誰もが信心なんて何の役にも立たない!と泣け叫ぶ兄がいる・・・。妹が家計のために下界に身を落としていく・・・。それでも親鸞聖人は弟子の「唯円」に歎異抄を通して唯一心に信心を貫けと諭される。この地球の歴史上 皆が誰しもそうして生き抜いてきて今が在る!! あの忌まわしい幾度もの戦火や災害を超えて来た・・・!! そう、そうなんだ 人類の進歩・向上のためにも。地球誕生46億年の内で新人類誕生は僅かに20万年前 地球の歴史のたった0.0004% 坂本龍馬が天に帰ってからたった156年しか経っていない!!未だ未だ日本も世界も夜明けを迎えてはいないぜよ!!!

曹洞宗の開祖 道元禅師は、出家時は比叡山延暦寺で「天台宗」を学んだので天台の教義である「法華経」が根本に在ると思われる。従って法華経の学びも大切である。

道元の教えの 「修証義」の第18節の一部から菩提心を発すというは、己の未だ度(わた)らざる前に一切衆生を度(わた)さんと発願し営むなり

⇒私的意訳:自分如きが未だに得度していないのであるが、それでも悩める全ての人々を救ってあげようと発心してただひたすらに修行を積むこととする そしてそれが人助けならば目の前の出来得ること全てを行う」 = 「自未得度先度他」の心を発すべし(じみとくどせんどた)別文:「我れ未だ度らざる前に一切衆生を救わんと発願し営むなり」

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